「蜂須賀二十五万石、藍六十万石」

かつてそう謳われた徳島。富田町は「富街(ふうがい)」と呼ばれ、明治時代に全国に先駆けて検番制度が設けられた花街でした。昭和初期には二百人を超える芸妓が活躍し、三味線の音が絶えることはなかったといいます。その富田町で、明治三十七年(一九〇四年)、初代・島田アヤが「翁亭」を創業。昭和三十六年(一九六一年)に「料亭しまだ」と改称し、以来百二十余年にわたり暖簾を守り続けております。

History

しまだの歴史

創業当時のしまだ
現在の料亭しまだ

徳島市富田町の地で、長年にわたり暖簾を守り続けてまいりました。 日本料理の伝統を大切にしながら、 時代とともに進化するおもてなしの心を忘れず、 皆さまにお喜びいただける場所であり続けることを使命としております。

ご接待、ご慶事、ご法要、大切な方とのお食事—— あらゆる場面で、心に残るひとときをお手伝いいたします。

当店のある富田町は、かつて「富街(ふうがい)」と呼ばれ、 芸妓文化が盛んに栄えた町でございました。 その伝統を今に受け継ぎ、真心のこもったおもてなしをさせていただきます。

Generations

歴代女将

First Generation

初代 島田アヤ(明治37年〜戦前)

明治十七年(一八八四年)生まれ。二十歳の若さで富田町に料亭を開く。明治・大正・昭和の激動の時代を通じて、しまだの礎を築いた。

Second Generation

二代目 島田君子(昭和36年〜)

昭和三十六年(一九六一年)六月二十八日就任。戦後復興から高度成長期へと向かう時代に、暖簾を守り続けた。

Third Generation

三代目 島田慶子(昭和39年〜)

昭和三十九年(一九六四年)六月二十三日就任。九歳で踊りの稽古を始め、芸の道を歩んだのち女将となる。平成十二年(二〇〇〇年)には在任三十七年目の節目に全面改築を決断。法人化し(株)しまだ代表取締役として、内芸妓によるおもてなしの伝統を守り、料亭しまだを徳島を代表する料亭へと育て上げた。現・大女将。

Fourth Generation

四代目 島田ゆかり(平成18年〜)

平成十八年(二〇〇六年)七月一日、(株)しまだ代表取締役に就任。自らも内芸妓として十五年の研鑽を積み、七代目杵屋佐吉家元より「杵屋佐響篠」の芸名を拝受した実力者。伝統を受け継ぎながら、新しい時代のおもてなしに挑む。

現女将・島田ゆかり

現女将 島田ゆかり

Chronicle

年表

明治37年(1904)

初代・島田アヤが富田町に「翁亭」を創業

昭和初期

富田町の芸妓が200人を超え、花街文化の最盛期を迎える

昭和36年(1961)

二代目・島田君子のもと屋号を「料亭しまだ」に改称

昭和39年(1964)

三代目・島田慶子が女将に就任

平成元年(1989)

富田町の検番が廃止

平成12年(2000)

全面改築リニューアルオープン

平成18年(2006)

四代目・島田ゆかりが代表取締役に就任

平成29年(2017)

「四国の四花街・華の響演」に徳島代表として参加

令和の今

四代にわたる想いを受け継ぎ、変わらぬ心でお客様をお迎え

Living Tradition

芸妓文化の継承

料亭しまだは、徳島で唯一の内芸妓を擁する料亭として、花街文化の灯を守り続けております。お座敷での舞や三味線の音色は、百二十余年の時を超えて今なお息づく、生きた伝統でございます。

  • 徳島で唯一の内芸妓を擁する料亭
  • 京都宮川町歌舞練場での出張公演
  • 徳島文化センターでの舞踊公演
  • 四国四花街合同イベントへの参加
芸妓2名の扇子を持った舞

Media

メディア掲載

雑誌「TOKUSHIMA」特集 — しまだ看板と提灯

料亭しまだは、高級誌「TOKUSHIMA」(Nile's NILE系列)に特集として掲載されました。

特集タイトル「富街嫋嫋」「富街抄」では、富田町の花街文化と料亭しまだの歩みが紹介され、四代にわたる女将の物語と、内芸妓のおもてなしの伝統が詳しく取り上げられています。

Photo: 合田正弘

Okami's Words

女将の言葉

神かけて島田の月は変わらじな

— 大女将・島田慶子

大女将・島田慶子が、お客様への手紙にしたためた一節。変わることのない真心でお迎えする、しまだのおもてなしの原点がここにあります。

島田慶子 直筆のお手紙

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